プロビームの法則ピースの歴史

チームプリンステクノロジー+に提供される法則ピースを紹介してみようと思います。

施工店ですら全ては把握していないだろうし、やり方が一番偉い環境社会ですから、この法則ピースの方は裏技程度にしか感じていないのが当たり前だと思います。

 

ビューさんとの出会いのきっかけは。

自分でやるタイプのコーティングサービスをやっていた頃に始まります。

 

その前に当時の戦略を少しだけお話ししましょう。

経済界そのものは就職難の時代だった事もあり、経営者の多くは従業員を使い捨てにする感覚に溺れていたように感じていました。

『命令型でダメな奴は首にしてしまえ、代わりはいくらでもいる』それを育ててもみない従業員に対してやれというような、経済、金融、コンサルタント、乱暴な時代だったと思います。

当時は鈑金塗装屋さんに席を置き、伺い頼まれて快く引き受けたミッションに従事していたので、事故という不安定な需要を品質とコストを削減して外注や指定工場として奪い合いしても、全体需要を見れば供給過多だし資本競争する資本力もないと判断していました。また、実際の従業員は言ってはみたものの、他の従業員と比較して仕事の量はかなり少なく、従業員自らの品質のこだわりを従業員それぞれが協調するでもなく、個人を変えようとする気もなく、かといって品質が他と比べて格段に高いという結果を出すでもなく、品質か低価格か、どっちつかずをどっちかにやり直さなければ、会社としてユーザーに一貫性が保てない、そんな稼ぐ手段がない状況でした。

他店のようにワイロ(笑)する予算もなかったですから(笑)

一般論の推測陰謀論でした。やってないか(笑)

乱暴な経済はやがて働く者の方が去ると思っていたので、予算もなかったし傲慢な経済界から決別し、自分と同年代の団塊ジュニア世代の気持ちはわかるだろうと、そこにターゲットしました。

まずは若いうちは自分でやる人に訴求。

50歳近くなると自分でやらなくなる人も増えるだろうという読みでの10年戦略でした。

その時点で、材料屋さんが扱っていない、目的が売上ではなくて、ユーザーの満足に向いていた、数少ない候補として、ビューさんのコーティング剤が候補に入っていました。

 

そこで防錆とコーティングを考えていました。

当時は、鈑金塗装屋が防錆とコーティングかと、外注と指定工場で忙しい大きな鈑金塗装屋さんには鼻で笑われたものです。今は鈑金塗装屋さんが普通にコーティングも防錆もやっていますし、アンダーコートやシャシ黒と呼ばれた時代の施工とは防錆塗装は根本的に違うのですが、整備屋さんやスタンドさんなんかも防錆塗装をやっています。当たり前になりました。

防錆塗装という言葉は自動車アフターマーケットにはなかったと思います。

アンダーコートと言っていて、僕の場合はそれとは違うので、防錆塗装と自分で名付けていました。

今は、耐久性と強度をだす、方法+法則=チームプリンステクノロジー+プリンスレジンなら。

防護防錆塗装です。

 

求めていた耐久性と価格バランスの防錆剤とコーティング剤が向こうからやって来た事もあり、試しました。

 

材料屋さんが言う『やり方』は適当なもので。

防錆剤だと『よく振って吹き付けてください』

コーティング剤だと『ちゃんと塗り込んでください』

これだけ(笑)

 

そこで、防錆も自分でやるコーティングも、やってみて考えて法則をある程度まとめてから現在のチームプリンスの前身だった鈑金塗装屋さんの全国グループに『出来るだけイニシャルコストがかからないようにしたいいのあるやるけどやらない?』と声がけして、任意で参加をうながし、参加者にだけ基礎法則を伝え『やり方』にプラスする『法則』を追認したり改善したり方法を良くする複数追認ロジックが出来あがりました。(やり方+法則=チームプリンステクノロジー+)昭栄さんが、コーティングと防錆の方法を早期に質良く確定するに一番貢献してくれたと思います。

 

そうこうしているうちに、有名になりつつあった自分でやるタイプのコーティング剤は、他の鈑金塗装屋さんが引き続き有名にする役割にバトンタッチと勝手に急に決まり(笑)、一人が供給先ともめてしまいまして(笑)

供給先とは誰も連絡がつかなくなってしまった事件がありました(笑)

 

その時、もめた一人にドンマイして。

このフォローは、いよいよビューさんと僕のランデヴーは本格化していくわけです。

へべく