
国難を早く終わらせるには、過去の感染症事例から言っても、速やかに日常生活のルールを想定して定着させる事だと思っていました。
どころが今回は、大衆の大衆による大衆のための変化を大衆が起こすよりも、利害が伴う世界構造の変革を指導する役割を政治経済研究団体などに大衆が与えてしまいました。
手洗いうがいも、もはや聞かなくなっているのに、禍とはなんだろう?
もはや国難を大衆ルール創造により、禍を終わらせる方向に大衆意識が自然に向かう事は不可能でしょう。
禍が収束した。
そう認識している人々が、理論的に怒りをあらわにする以外に道はないと思います。
禍が収束したと思っているという事は、その人には恐怖という実態がないという事です。
実態がない過というのは。
人間の細胞に例えると、一部免疫細胞の過剰反応中。
それと似ていると思っています。
つまり国難は、現実環境に適応できていない思い込みや勘違い。
お店でお金を使う事は、確かにお店を一旦は救い感謝されるでしょう。
しかし、いつまでも救い続けられない。
根本的に道を開かなければならない。
何をどうするか。
怖い人と怖く無い人が混在すれば、怖く無い人は無なのですから、怖い人が少数でもある一定数の声の大きさがあれば、有る方だけが課題として環境社会に存在する事になってしまいます。
この場合、ほとんどの人が恐怖のない環境社会の姿を正しく認識する。
これに尽きると思います。
僕は今買って支えるよりも、人間が環境社会を正常に認識する事に遅れないように孤独な奮闘をしてきました(笑)
怖い人を変えるでも、環境社会を人に合わせるでもなく。
現実の環境社会を認識して受け入れる。
風邪に気をつけて、事故に気をつけて、怪我に気をつけて、コロナに気をつけて。
世間、環境社会にはまり込まずに。
個になる事を恐れず。
環境社会のあるべき姿に着地すれば、最後はきっとみんなそこに集まります。
来なかったら。あれ?と思って近くを探してみましょう。
正解は誰も分からない。
みなさんにグッラック。
参考
不公平環境にはまっていませんか?
保存の効く物資価値が有利。通貨。
保存の効かない物資価値が不利。農産物魚介類
物資化していない価値が最も不利。デザイン、アイデア、人間の生きる時間、金銭に変換できない価値の企画
世間にハマってしまった人間達
環境と自分は一体